持明院様は美しい人だったようです

持明院様・・じめさあ

島津義久の三女として1571年(元亀二年)に生まれています。
島津藩が三州統一にむけての戦いを繰り広げていた時代のことです。
人質として豊臣秀吉に差し出されています。
                   新しい資料「薩摩旧伝集」

彼女があまりに美しかったために秀吉は偽物ではないかと疑いました。菓子を乗せた台を荒々しく投げつけたのです。しかし亀寿姫は驚くこともなく一目だけ秀吉を見ただけでした。そしてあとは何事もなかったかのように座り続けていたのです。

その落ち着き払った態度を見た秀吉は義久の娘に間違いないと思ったのだとちゃんと記載されています。亀寿姫17歳のころのお話です。

亀寿のあとから上洛した父義久が帰国を許された際。彼はかわいい我が娘を連れ帰りたいと細川幽斎に頼んだとされています。

19歳のころ亀寿は養子をもらいました。父義久には嫡子がなかったために亀寿に婿養子をとり子どもを待ったのです。このときが初めての結婚です。おじ義弘の息子久保ひさやすと結婚していますが彼は朝鮮半島で病のためなくなりました。

その後義弘の次男家久を婿に迎えたましたがやはり子どもはできなかったのです。

家久は亀寿と別居しました。そして妾を数人持って次々と子をなしています。
島津の正当系図によると妾の数は八人。子どもは32人もいました。

この中から19代島津光久が出ています。

亀寿は実家国分で淋しい晩年を送りました。

亀寿が醜かったとする伝説に根拠はないのです。
むしろ絶世の美女であったとする方が無難なようです。
証人は豊臣秀吉です。

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