「高橋くずれ」の頃の西郷隆盛



嘉永三年1850年3月
赤山靱負は家来西郷吉兵衛に自刃の解釈を依頼し遺言を残しました。
その時の血染めの服をかたみに残しています。
吉兵衛の息子吉之助はこのとき24歳。少年と呼ぶには少々歳を取りすぎた後の西郷隆盛です。少なくともこの時点で彼は何もしていません。何もできない状況。何もできないただの男でしかなかったわけです。


薩摩藩の藩主の家島津家のお家騒動を「高橋くずれ」あるいは「お由羅騒動」と呼びます。名君と謳われた島津斉彬が藩主に納まるための内部騒動です。
時代劇などでは恥をかかされた武士がよく腹を切りますが。実際に切腹した記録はそれほど多くはないと聞かされています。けれども薩摩藩においては事情が少し違います。実に多くの武士が腹を切った。その記録が残っています。

この時。大久保次右衛門は喜界島流刑の処分を受けています。
大久保一蔵のちの大久保利通の父親です。大久保は西郷よりも三歳年下です。21歳になっていました。

吉之助は親戚の家まで出向いてたくさんの書物を借りて。一蔵とその父次右衛門に差し入れています。本を届ける役目をつとめたのは吉之助のかわいがっていた従兄弟大山弥助七歳。日露戦争の際の総司令官大山巌です。

薩摩では五.六歳から十二.三歳までの前髪のお子様のことを「稚児」と呼びます。元服をすませ前髪をおろした二十三.四歳は「二才」です。
「青二才のくせに」の二才です。

西郷・大久保二才のころのお話です。彼らは稚児さんの頃からの親友でした。調所広郷のかけた石橋のしたで遊びながらその調所のしかけた陰謀に巻き込まれながらニートの時代を苦しんでいました。
時代にしては遅すぎるスタートを切ろうとしていたのです。


これからココに記されるモノは物語と呼べるしろものではありません。
できることなら物語の高みまで昇華して欲しいと願いながらメモを残します。
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毎日ここに来ていると歴史の勉強ができそう。
私のきらいな教科書の勉強ではなくて、私の好きな教科書にかかれていないもの。
図々しい勉強かもしれません。
  • 2006-04-05│15:10 |
  • Ambrosia URL│
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